ライフスタイル アンバサダー

昼食を祝福せよ

これは美食家の記録ではない

ローテーションで味わう宇宙

朝が遅いため、昼食はたいてい15時すぎになる。17時や18時にずれこみ、夕食と兼用のこともある。

会社の近所でお気に入りのランチコースは4店。だいたい餃子(焼き・水1皿ずつ、にんにくあり)か、パスタ(ペペロンチーノ系)か、担々麺(めちゃくちゃ辛いやつ)か、鯖の塩焼き定食だ。これらがお気に入りの理由は、味はもちろんのこと、通し営業をやっているからである。世の中は意外と、12時や13時に昼を食べない人間について考えない。

以前は餃子の店も14時ラストオーダーだったが、最近はコロナ禍の時短要請で通し営業をやってくれるようになった。私が行く時間、店にほとんど客はいない。世の中のみなさんは仕事に集中している時なのだろう。あるいは、リモートワーク中なのかもしれない。

いつかのネパールの昼食

儀礼的にメニューを見つつ、たいてい決まったものを注文する。ほぼ確実に顔は覚えられていると思うが、必要以上のコミュニケーションはとらない。店員と客は、皿と金銭の受け渡しで交流するのがうつくしい。もしかしたらいつか会話がうまれるかもしれない、そんな未来を少し期待するくらいがちょうどいい。

早食いなので(太古の時代、編集者たる者早食いたれと教えられた、もう化石となった言葉だろうけど)、いつもあっという間に食べ終わってしまう。懲りもせずに繰り返してきたその後悔を克服すべく、鍛錬あるのみと、とにかく咀嚼に集中するようにした。ゴールに向かって、ひとくちの量をコントロールする。餃子は焼きと水を交互に、そしてライスと同時に食べ終わるように、配分を計算しながら慎重に箸をすすめる。パスタと担々麺は具と麺をいい塩梅に混ぜて、味の均等をはかる(不均等であってもそれはそれで楽しいのだが)。鯖の定食は、白米、お味噌汁、副菜を当分に、大根おろしと醤油をどのくらい鯖と合わせていただくかを考える。レモン汁だけでいくときもある。口中にうまみが広がって、その宇宙を最大限堪能して食事を終えたときの達成感。料理を生かすも殺すも自分。食べることは、料理人と自分との共同作業なのである。

いつかのカナダの昼食

あまりにも日常のことだからこそ

これは美食家の食レポではない。店のレビューでもない。勤め人が機嫌よく働くための些細な精神統一の儀式の話だ。

ランチの可能性は無限大だ。自分でつくる弁当をもっていくこともできるし、コンビニですませることもできる。忙しくて食べられない日だってある。ただ、できるだけおいしいものをいただく贅沢を、そしてその時間を、自分に許してやりたいのだ。

店を新規に開拓するよりも、気に入ったところに通うのが好きで、足と心がおもむくままにその日の昼食を決める。昨日も行ったけど今日も餃子にしようとか、今週3回目だけどまたまかないパスタがいいとか、選択は自分次第だ。たまに同僚と行くこともあるが、たいていはひとりで、黙々といただく。パソコンの前から離れて、スマホを置いて、ひと皿と向き合うとき、それが何度も食べた料理だとしても、緊張から解き放たれて、つかの間自分と対話することができる。また残りの仕事に励むための力をもらう。今日もおいしいと感じられている健康に、今日もこの店が営業してくれていることに感謝する。

一日いちにち、状況がひどくなっていく世界で、こんな悠長なことも言っていられなくなるかもしれない。どの店でもアルコール消毒、アクリル板、ビニールシートが設置され、座席数も以前より減った。だからこそ、平凡な昼食を寿ぐのだ。食事をつくること、いただくことが、あまりにもありきたりで、当たり前のよろこびだからこそ。

いつかの韓国の昼食
複業編集長齋藤どんぶり東京出身、東京在住。戌年。編集プロダクション、広告代理店、出版社で編集者としてのキャリアを形成。好きな食べ物は餃子とお餅とビール。趣味は本を買うことと中国茶と散歩。もう一度旅したい国はインド、一度住んでみたい場所は金沢と上海。